大会は短距離走、修行はマラソン。

3月20日(木、祝)に、第47回呉地区少林寺拳法大会が開催されました。支部全体としては比較的よい成績を残せたと思いますが、思うように結果がだせず、悔しい思いをした拳士もいたことと思います。

大会の結果ということ関して、私自身の、少年時代のお話をしようと思います。私は、小学4年生のときに少林寺拳法に入会し、小学6年生のときに師匠である橋下先生のもとで、修行をはじめました。そのころの演武のビデオを見てみたのですが、先日、呉地区大会に出場したみなさんとは、比較にならないほど未熟なものです。当然、賞状をもらうことすらできませんでした。

子供時代の支部長(左)

一生懸命に練習したのに、予選すら通らなかったときは、悔しくて「何かの間違いだ」と思ったことを覚えています。それから、がむしゃらに修行を重ねましたが、子供時代に大会で入賞することは、ついにありませんでした。理由は簡単で、私よりも優れた拳士が何人もいたのです。

大学でも少林寺拳法を続けました。当時、三段でしたが、大会で結果を残せません。大学生になってから少林寺拳法をはじめた、初段、二段の仲間が、ぞくぞくと入賞します。だけど、自分はどうしても入賞できない。一体なぜだ? 法形や運用法(乱捕り)の腕なら負けていないのに……。伸び悩みは続きました。

社会人になっても少林寺拳法を続けました。仕事は忙しかったですが、少林寺拳法がない生活は考えられなかったのです。橋下先生に会いにいって教えをうけ、福山の信岡先生から「秘密にしなさい」と、口伝の伝法を受けました。いつしか五段になりました。そして30歳に近くなり、ふと、まわりを見回してみると、自分と同じように、ずっとずっと修行を継続している人は、誰もいなくなっていました。

私が小中学生のとき、私よりも技がうまくて、大会で賞をとっていた人がいたはずなのです。私が大学生のとき、私よりも巧みに演武をし、大会で賞をとっていた人がいたはずなのです。だけども、かつて私に「勝っていた」彼ら彼女らは、勉強や仕事や子育てや、やむにやまれぬ事情のためか、修行を続けられなかった。走るのをやめてしまったのです。ですが私は、走るのを決してやめなかった。そして今に至ったのです。

開祖は、「勝たなくてもいい、決して負けるな。生きている限りは負けではない。」と言ったそうです。そう、私も勝てなかった。だけど負けもしなかった。生きている限り、修行を継続している限り、負けることはないのです。修行を継続しましょう。負けないために。ともに続けていきましょう。

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