呉安浦体育館少林寺拳法教室、公式Webサイトのリニューアルを記念して、支部長 黒田裕太朗先生に、教室開設までの経緯や、運営にかける思いを聞いてみました!
「道場を開いたら、安浦町は水没したんです。」
呉安浦体育館少林寺拳法教室 支部長 黒田裕太朗 五段
昭和62年生 九州大学教育学部卒。大学卒業後、中学校教諭として13年勤務し、現在は地方自治体職員。一児の父。
黒田支部長、本日はお忙しいなか、インタビューにお時間に割いていただき、ありがとうございます。実際にお会いしてみると、かなりお若い印象ですね。
ありがとうございます。わたしは、昭和62年生まれの37歳(令和6年11月現在)です。少林寺拳法の所属長の平均年齢は60歳を超えていますから、私ぐらいの年代は珍しいでしょうね。呉安浦体育館少林寺拳法教室を開設したのは、ちょうど30歳のころです。
若くして支部長を志されたのには、何か理由があったのでしょうか。
実は、たまたま、機会が巡ってきたからなんです。
呉安浦体育館少林寺拳法教室は、「体育館支部」という種別の支部なのですが、これは、50歳以下の指導者が支部長を担うことを条件に、活動条件が優遇されるものです。
呉安浦体育館少林寺拳法教室は、日本初の体育館支部。要するに、新しい制度ができたので、支部を開設してみたということですね。個人的には、結婚して、居住地を定めようとしていたタイミングでしたので、ちょうどよかったんです。
支部の開設から6年、順調に会員を増やしておられます。
ええ。先日、新入会が23名を数えました。転籍・兼籍を含めるともう少し増えます。呉市安浦町は人口1万人にも満たない過疎地ですが、スポーツ・文化活動が盛んな土壌もあり、多くの方に関心をもっていただいています。
今日に至るまで、ご苦労もあったのではないでしょうか。
苦労はありました。道場を開いたら、安浦町は西日本豪雨(平成30年7月豪雨)で水没しましたからね。多くの方々の支援のおかげで、なんとか活動は再開できましたが、間もなく新型コロナウイルス感染症が流行し、通常の活動ができなくなりました。
会員数はなかなか伸びませんでしたよ。チラシを刷っても、SNSで発信しても、何の手応えもない。広報費もタダではありませんから、辛かったです。道場が賑やかになってきたのは、新型コロナウイルス感染症が5類になってからのことですね。
でも、いちばんの苦労は、なんといっても、日々の生活のなかで、道場のための時間をつくることですよ。仕事して、子育てして、家事もやって……可処分時間がいくら残るかな? 「旦那元気で留守がいい」の時代ではありませんから、若手指導者は同じような悩みを抱えていると思います。
それは切実な悩みですね……
平成30年7月豪雨で水没した安浦町。道路も完全に冠水。活動は全面休止に。
父親としては修行中の身。「保護者の皆さんは先輩ですからね。」
「ボランティアです。教育は、贈与ですから。」
黒田支部長は、ボランティアで道場を運営されているそうですね。
ええ。私だけでなく、少林寺拳法の指導者は、例外なくボランティアです。当教室では、月あたり2,000円の部費を徴収していますが、これはすべて支部の活動費に充てています。また、わたし自身も部費を支払っています。そもそも、わたしは公務員ですので、副業はできません。
お仕事について伺ってもよろしいでしょうか。
現在は、地方公共団体の事務職をしていますが、その前は、中学校で国語の先生をしていました。キャリアとしては、先生をしていた時期の方がずっと長いですね。「三つ子の魂百まで」といいますが、転職して2年目の今でも、心の底は先生のままのような気がします。
転職した理由を伺ってもよろしいですか?
先生って、転勤がありますでしょう? それに、定時で帰るのがすっごく大変なんですよ。先生をやりながら、道場を運営していた時期は、かなり無茶な働き方をしていました。これは綱渡りだ、持続可能じゃないぞと。それで、転勤の辞令をいただく前に、先手を打って転職してしまったというわけです。先生の仕事は、自分が望んで選んだものですし、やりがいがあって好きだったんですけどね。
思い切って判断をされたのですね。それにしても黒田支部長、そこまでして少林寺拳法教室を運営される、そのモチベーションはどこからくるのでしょうか。
実をいうと、子供のころから支部長になりたかった……わけではありません。小難しい言い方になりますけれど、わたしが支部長になったのは、「贈与に対する、返礼の義務を果たしたいから」。これがすべてです。
贈与に対する、返礼の義務、ですか。噛み砕いてお話ししていただけますか?
はい。先にも申しあげたとおり、少林寺拳法の指導者というのは、例外なくボランティアです。したがって、わたしを育ててくださった先生方も、ボランティアということです。
幼少期より、広島芸南支部 支部長 橋下誠先生をはじめ、幾人もの先生方に、手をとり、その技法、秘伝を惜しむことなく授けていただきました。大人になり、自分がこれまで与えられたものの、途方もない質量に気づいたとき、「ああ、これをこのまま独りじめして、墓にもっていくわけにはいかないな。先生方がそうしてくださったように、これを誰かに与えなければ、自分は死ねないんだ」そういう気持ちが湧きあがってきたのです。
教育とは、贈与です。先に生まれたものから、後へ続く者へと、贈与し続けていくことで、連綿と続いていくものなのです。
前職は中学校の先生。担当教科は国語でした。教師生活で楽しかったのは、やっぱり授業!
毎年夏に開催するイベント「山の修行会」では、子どもたちの夏休みの宿題をお手伝い。「この時だけは、先生に戻ります。」
「道場は自分の居場所だと、安心していられる場所だと感じてもらいたいんです。」
今後の目標はありますか?
長期的な目標は,次世代の少林寺拳法の指導者を育てることです。正規の指導者というのは資格でいうと四段、五段で、そこに至るまでは長い時間がかかります。当教室には、全国大会に出場して頑張っている拳士もおりますけれど、実は、全国1位になる必要はないのです。それよりも、修行を継続することこそが大切です。
例えば、中学校の3年間で、Aさんは100を身につけ、Bさんは30を身につけたとします。大会で入賞するのは、もちろんAさんです。ところが、それからAさんが修行をやめ、Bさんが修行を継続したとしたらどうでしょう。20年も経てば、Bさんが、100をはるかに通り越した域に達しているのは明らかです。育てたいのは、そういう人です。
だからこそ、入会した拳士には、できるだけ長く続けてもらえるような方策を、常に考えています。
なるほど、実際のところ、呉安浦体育館支部は、所属拳士の継続率も大変高いようですね。拳士に継続してもらうにあたり、何か秘訣はありますか?
そうですね。一口にいい表すのは難しいですけど、道場を、自分の居場所だと、自分が安心していられる場所だと、感じてもらえるようにすることですかね。
中学校の先生をしていたとき、教室に居場所がなくて、寂しい顔をしている子どもを何人も見てきました。学校って、ある意味で厳しい環境なんです。同じ年齢の子どもたちが、狭い教室にずらっと並べられて……。先生は、学校の成績がすべてではないというけれど、子ども同士は、どうしたって競い合ってしまう。あいつは数学の成績がいい、足がはやい、顔がかっこいい、面白いとか。なにがしか秀でているところがある子どもは、そういう環境で磨かれ、輝くこともあります。だけどそういう環境が、どうしても耐えがたい子どもだっているんです。
では、うちの道場はどうかというと、中学生もいますけど、小学生いて、幼稚園児さんがもいて、40代、50代、60代の大人もいて、性別も経験年数もばらばら、みんなごちゃまぜになっている。そういう集団のなかで、おれのほうが蹴りが速いとか、投げがきまるとか、こまかいことを競っても仕方がないと感じませんか。競争というのは、もろもろの条件を揃えないと成立しないものです。
確かに、格闘技では、体重別に階級を定めて試合を行います。適切に条件をそろえているからこそ、試合が成立するということですね。そう考えると、同じ年齢の子どもたちが、同じカリキュラムで学んでいる「学校」という環境は、自ずと競争がおこりやすくなりそうです。
そう。だから、小さい子どもから高齢者まで、いろんな人がいる道場のというのは、子どもにとって居心地がいい場所なのではないでしょうか。最近、そういう場所は見当たりませんね。昭和のなかごろであれば、地域のコミュニティが、そういう場を形成していたのかもしれませんが。
令和の現在は、地域のコミュニティが希少になりつつあります。
ええ。だから、この呉安浦体育館少林寺拳法教室を、ひとつのコミュニティに育てていきたいと考えています。
いま、道場では、年齢も学校も違う子どもたちが、追いかけっこして遊んでいます。大きい子がリーダーになって、小さい子に技を教えています。大人たちが、子どもたちの他愛ないお話をきいたり、ときに人生訓を語りきかせたり、昇級・昇段を祝ったりしています。子どもを迎えにきたお母さん、お父さんたちが、井戸端会議に花を咲かせています。
うまく言葉にできませんが、こういう光景、「なんか、いいなあ」って、感じるんです。
本来であうことになかった人たちが、少林寺拳法の縁でつながり、新しいコミュニティを創出しているのですね。
仰るとおりです。そして、この新しいコミュニティは、去るものを追わず、来るものを拒まず、いつでもだれでも歓待するものでありたいと思います。流れがなければ淀みがでるもの。流れをつくるのは、支部長の仕事です。
了
※このインタビューの内容は、令和6年11月当時のものです。