少林寺拳法の創始者は、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを」という言葉を遺しています。完全な利己でも、完全な利他でもない。その中道をいくべきであるという教えです。
この教えに対して、当初は「目指すべき境地は、完全な利他であり、利己心をもつことはもってのほか」という批判もあったそうです。確かに、完全な利他のほうが、中道よりもさらに高い境地に見えます。しかし、家庭生活を営んでいると、「利他心だけでは駄目だ、利己心も半分は必要である」と感じることがあります。
私は、親元を離れてから結婚するまで、10年以上、一人暮らしをしました。男の一人暮らしというのは、だいたいが不健康なもので、教師の仕事や少林寺拳法の指導にかまけて、良質な休養をとったり、バランスのよい食事をしたりすることが、おざなりになりがちだったものです。良縁に恵まれて結婚してからは、その生活が変わりました。
たとえば妻は、美味しいものを食べることが好きでした。だから、どのお店の定食やケーキが美味しいかを知っている。さらに、自分で美味しいものをつくることもできる。そして、夫である私は、そのご相伴にあずかって、美味しくて健康的な食事をとることができる。つまり、妻が美味しいものを食べる、という自己の幸せを追求しているからこそ、夫も美味しいものを食べて幸せになることができるのです。
これはまさに、「半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを」ではありませんか。
だから、自己の幸せを追求することは、決して悪いことではないのです。むしろ、自分を幸せにできなければ、他人を幸せにすることはできない、といえるでしょう。私達、少林寺拳法の拳士は、大いに自己の幸せを追求し、その幸せを他人とわけあう生き方をしていきたいものです。