今日の講話「少林寺拳法の修練体系」

少林寺拳法の修練体系には、「基本」「法形」「乱捕り」「演武」の四つがあり、呉安浦体育館少林寺拳法教室で実施している修練も、原則、この四種類のどれかです。

「基本」は、必ず、毎回の修練で行いますね。基本について、読本には、「体を動かす回数の多さだけにこだわらず、意識的な動作を無意識な動作にまでするのが大切」とあります。基本修練のとき、私(支部長)が「脇を締める」とか「肩から力を抜く」とか、いろんなコツをいいますけれども、それを言われた瞬間は意識をするから、動きがよくなる。でも、意識しないともとの動きに戻ってしまう。それでは稽古が足りないということです。無意識のうちに、脇を締めて、肩から力を抜いて、突きをできる境地に至って、初めて上達したと言えます。100回、1000回、突く練習をしたら、筋肉が鍛えられて突きが強くなる、ということではありません。

「法形」には、さまざまな護身の技が示されています。ほかの武道では「型」や「形」と呼ばれることが多いですが、少林寺拳法では、教えを体現するための手段ということで、「法形」と呼んでいます。「法形」の修練で大切なのは、「形のみを覚えるのではなく、技術の原理、原則に則った心身の最善活用法をつかむ」ことだと読本に書いてあります。「法形」の修練では、私が「これがコツだよ」と示すことがありますね。それが「理」です。法形修練を通して、「理」を身体で覚えていくことで、自然と、武的な動作ができるようになります。体の動かし方が変わるのです。

「乱捕り」とは、法形の「運用法」です。しかし、経験の浅い人どうしで乱捕りをすると、法形がぜんぜんでない、ということがよくあります。一方がわーっと突き蹴りをだし、一方は足でさがり、一方がまたわっーっと突き蹴りをだし、一方は足でさがり……みたいな「乱捕り」、よくありますね。しかしこれでは、法形が「運用」できているとはいえません。(かくいう私も、学生のころはそんなものでした。)私が法形を「運用」できるようになったのは、高段者になってから、ある修練を積んだからです。

それは、徹底した「受け」の修練です。備後新市道院のN先生から、ひたすらに受けの手ほどきをうけた時期があります。当初はその意義がわかりませんでしたが、わけもわからず、ひたすら、受けの修練をしました。突きよりも、蹴りよりも、さらに多く、受けの稽古したかもしれません。(そういう稽古を経験した人は、それほど多くないと思います。)そうして稽古を積むことで、ほとんど無意識に受けがでるようになりました。正しく受けたら、もう、反撃する体勢になっているわけです。法形は、乱捕りのなかで、自然とでてくるようになりました。個人的な見解ですが、法形を運用するには、受けの修練をしっかりとやることが重要だと考えています。

最後に「演武」。「演武」で大切なことは、「武的要素」を表現することです。突き蹴りの攻撃が届いていない演武はだめです。形だけの投げで、受け手がわざと倒れているような演武も、よくありません。そういう演武は、見栄えがよくても高得点をつけないよう、審判の先生たちも毎年研修しています。本物の突き蹴り、投げや固めでもって、演武をつくりあげること。それには、「基本」「法形」「乱捕り」のすべての修練が、高いレベルで求められます。道場で修練できる時間には限りがありますから、どうしても不足はでてくるものです。完璧な演武はできなくとも、目指す方向性は意識して、理想の「演武」に近づけるように、修練していきましょう。私も、みなさんとともに修練の途中です。

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