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呉安浦少林寺拳法教室
呉市安浦町で「少林寺拳法」を学べます! 月19:30〜21:00安浦武道館、土18:00〜19:45安浦まちづくりセンター軽運動室で活動中! 見学、いつでも受付中です!
前回は、少林寺拳法に用いる理法として、「鈎手の理」「梃子の理」「車の理」を紹介しました。今日はそのお話の続き。本日の稽古と関連づけて、理法をもう二つ紹介します。 一つは、「はずみの理」です。本日の稽古では、防具をつけて、突き蹴り当てる練習をしました。強い威力をだすにはどうすればいいでしょうか? みなさんは、適当な距離を置いて、勢いをつけて突き蹴りを当てようとしていたはずです。それが、はずみの理です。全くのゼロ距離から、威力のある突き蹴りをだすのはとても難しいことです。遠くから勢いをつけて当てられればいいのですが、手足が無限に伸びるわけでもない。自分の手足の長さを理解して、最も威力をだせる位置で、突き蹴りをだすことが肝要です。 二つは、「経脈の理」です。突き蹴りに関していえば、急所を狙って当てましょうということですね。防具をつけていないときに、急所に当てるのは危険ですが、防具をつけているときは、積極的に急所を狙うとよいでしょう。読本には、少林寺拳法で使用するのは78種138穴とありますが、平生から意識する急所は、10個程度で構いません。中段ならば、「水月」、「三枚」、「横三枚」。上段ならば、「三日月」、「三合」、「四合」、「三角」ぐらいを狙えればよいと思います。これらの急所の位置は、覚えましょう。 演武の練習をしているときに、 私が、「その突き蹴りは当たっていないよ」、ということがありますね。そういうときに、「はずみの理」や「経脈の理」を思い出してください。確かに、「はずみの理」が生かされていない、「経脈の理」に適っていない、ということが自覚できるはずです。大切な理法ですから、常に意識して稽古をしてくださいね。
理法というのは、いうなれば、一の力を、十にするためのコツです。少林寺拳法の技は、理法を用いて組みたてられているため、力の弱い人でも、大きな効果を発揮できるのです。さて、今日は少林寺拳法の理法を3つ紹介します。 1つ目は、「鈎手の理」です。例えば、相手に手首を握られたとき、握られた手首が自分から近く、相手から遠いほど、自分が有利になります。逆に、逃げられた手首が自分から遠く、相手に近いほど、自分が不利となります。ひっぱりあいの場面を想像すれば、感覚的にわかりますね。「鈎手」は、角度処理も重要な要素ですが、その本質は、自分に近く、相手から遠くするということです。相手に掴まれる瞬間、あるいは掴まれようとしているとき、「自分に近く、相手から遠く」を意識して鈎手守法を行いましょう。もっと楽に守れるようになるはずです。 2つ目は、「梃子の理」です。例えば、相手に手首を強く握られた時、握られた手首を動かすには腕力が必要です。しかし、握られた手首を支点にして、肘を動かすのならば腕力はいりません。これが梃子の理です。みなさんは、法形の練習のなかで、知らず知らずのうちに、梃子の理を活用しているはずです。握られたところを動かしてはいけません。握られたところから、より遠い箇所を動かしましょう。精確に行うには、かなりの熟達が必要です。意識して稽古してください。 3つ目は、「車の理」です。小学生のみなさんには、投げ技はほとんど伝授していませんが、中学生になり、有段者になれば、少林寺拳法の投げ技を習得することになります。少林寺拳法の投げ技は、一般的な格闘技の投げ技とは、本質的に異なります。ここに水筒があります。この水筒を倒そうとしたとき、もちあげて投げ落とす、とすれば腕力が必要ですね。一方、この水筒を斜めに傾けて転がして倒す。これなら指一本でもできます。傾けて、転がす。これが「車の理」の一例です。こういうやり方ですから、少林寺拳法の投げには力がいらないのです。 やみくもに稽古するのではなく、理を知り、数をかけること。そうすることで、凡人も達人に近づくことができるはず。本日も、ともに励みましょう!
3月17日(土)に、大浦崎体育館(広島県呉市音戸町波多見6丁目20−1)で、第46回少林寺拳法呉地区大会が開催されました。呉安浦体育館支部からは、13名の拳士が出場しました。主な成績は次のとおりでした。 小学生 単独演武 梶原拳士 優秀賞(3位) 小学生白・黄帯 単独演武 大田拳士 優秀賞(2位) 一般 組演武 平出ー黒田組 最優秀賞(1位) 呉地区大会は、地元の小さな大会ですが、全国レベルの拳士が多数参加し、同じ舞台で切磋琢磨できる貴重な機会でもあります。当日は、体調不良で参加できなかった拳士もいましたが、呉安浦体育館支部の拳士にとって、確かな上達の手応えが得られた大会になったと思います。次は、呉地区主催の県大会です。新しい目標を意識して、頑張りましょう! ちなみに、呉地区大会の名物? 綱引き、大縄跳び、チャンバラ大会などのアトラクションも盛り上がりました。支部対抗の綱引きでは、呉安浦体育館支部・呉広道院合同チームが、なんと優勝!!! これも、拳士・保護者のみなさんの団結の力ですね。うおー、めっちゃ嬉しい!!!! 綱引きは引き続き、優勝を狙いましょう(笑) なお、大会のくわしい結果は、こちらのリンク先(広島県連ウェブサイト)で見られます。
第46回呉地区大会に出場しました | 呉安浦体育館少林寺拳法教室 Official Site
3月17日(土)に、大浦崎体育館(広島県呉市音戸町波多見6丁目20−1)で、第46回少林寺拳法呉地区大会が開催されました。呉安浦体育館支部か...
少林寺拳法の修練体系には、「基本」「法形」「乱捕り」「演武」の四つがあり、呉安浦体育館少林寺拳法教室で実施している修練も、原則、この四種類のどれかです。 「基本」は、必ず、毎回の修練で行いますね。基本について、読本には、「体を動かす回数の多さだけにこだわらず、意識的な動作を無意識な動作にまでするのが大切」とあります。基本修練のとき、私(支部長)が「脇を締める」とか「肩から力を抜く」とか、いろんなコツをいいますけれども、それを言われた瞬間は意識をするから、動きがよくなる。でも、意識しないともとの動きに戻ってしまう。それでは稽古が足りないということです。無意識のうちに、脇を締めて、肩から力を抜いて、突きをできる境地に至って、初めて上達したと言えます。100回、1000回、突く練習をしたら、筋肉が鍛えられて突きが強くなる、ということではありません。 「法形」には、さまざまな護身の技が示されています。ほかの武道では「型」や「形」と呼ばれることが多いですが、少林寺拳法では、教えを体現するための手段ということで、「法形」と呼んでいます。「法形」の修練で大切なのは、「形のみを覚えるのではなく、技術の原理、原則に則った心身の最善活用法をつかむ」ことだと読本に書いてあります。「法形」の修練では、私が「これがコツだよ」と示すことがありますね。それが「理」です。法形修練を通して、「理」を身体で覚えていくことで、自然と、武的な動作ができるようになります。体の動かし方が変わるのです。 「乱捕り」とは、法形の「運用法」です。しかし、経験の浅い人どうしで乱捕りをすると、法形がぜんぜんでない、ということがよくあります。一方がわーっと突き蹴りをだし、一方は足でさがり、一方がまたわっーっと突き蹴りをだし、一方は足でさがり……みたいな「乱捕り」、よくありますね。しかしこれでは、法形が「運用」できているとはいえません。(かくいう私も、学生のころはそんなものでした。)私が法形を「運用」できるようになったのは、高段者になってから、ある修練を積んだからです。 それは、徹底した「受け」の修練です。備後新市道院のN先生から、ひたすらに受けの手ほどきをうけた時期があります。当初はその意義がわかりませんでしたが、わけもわからず、ひたすら、受けの修練をしました。突きよりも、蹴りよりも、さらに多く、受けの稽古したかもしれません。(そういう稽古を経験した人は、それほど多くないと思います。)そうして稽古を積むことで、ほとんど無意識に受けがでるようになりました。正しく受けたら、もう、反撃する体勢になっているわけです。法形は、乱捕りのなかで、自然とでてくるようになりました。個人的な見解ですが、法形を運用するには、受けの修練をしっかりとやることが重要だと考えています。 最後に「演武」。「演武」で大切なことは、「武的要素」を表現することです。突き蹴りの攻撃が届いていない演武はだめです。形だけの投げで、受け手がわざと倒れているような演武も、よくありません。そういう演武は、見栄えがよくても高得点をつけないよう、審判の先生たちも毎年研修しています。本物の突き蹴り、投げや固めでもって、演武をつくりあげること。それには、「基本」「法形」「乱捕り」のすべての修練が、高いレベルで求められます。道場で修練できる時間には限りがありますから、どうしても不足はでてくるものです。完璧な演武はできなくとも、目指す方向性は意識して、理想の「演武」に近づけるように、修練していきましょう。私も、みなさんとともに修練の途中です。
「拳の三訓」とは、少林寺拳法を学ぶ、三つのレベルのことです。はじめのレベルから順番に、「守」「破」「離」といいます。 「守」とは、師の格に至ること。師匠と同じことができるようになる、ということです。わたしは、子供のころにこれを知り、「え?」と思いました。わたしの師は、呉市役所支部の前支部長、H先生ですが、当時すでに四段、五段、その先生と同じことができるようになるのが、最初のレベルだという。そんなことできるの? 正直そう思いました。でも、これが最初のレベルなのです。 「破」とは、師の格を変形すること。師匠から教わった技を、理にかなう範囲で変えてよいということ。私は、呉安浦体育館支部をつくるまえは、福山市で修行をしていました。備後新一道院のN先生という、小柄な先生から手ほどきをうけていました。8年近く教わり、N先生から言われました。「守破離は知っているだろう。いつまでも守ではいかん。どうやったら相手が倒れるか考えて、破の技をしなければ」と。当時、私は五段でした。 考えてみれば、N先生は小柄ですが、私は長身です。体格が違うのに、全く同じように技をかけることは難しいはずです。柔法の投げ技、崩しのひとつ、私の体格に合うやりかたがあるはず。それを考えろということなのだと思っています。私にとって、「守」の期間はそうとう長いもので、それが当たり前になりかけていましたが、いつまでも「守」ではいけないのでした。 「離」とは、師の格から抜け出て、己の格を生み出すこと。残念ながら、わたしはまだ、離の段階には至りません。しかし、実際に離に至っているであろう先生方から、手ほどきを受けることはあります。送小手(投げ技のひとつ)などは、先生によって、掛け方が異なります。ひとりひとり違うといっても過言ではありません。しかし、掛け方がちがうからといって別の技ではない。どれも送小手です。いろんな先生から技を教わると、はじめは混乱するかもしれませんが、とにかく飲みこんでいくうちに、送小手という技の本質が見えてくるものです。だから、支部長だけでなく、たくさんの人から、技を教わってみてほしいと思います。合同練習に参加したり、強化練習に参加したりすることは、そのよい機会になりますよ。